お侍様 小劇場

    “たとえばこんな非日常” (お侍 番外編 77)
 


        




 今年は随分と本格的な寒気団が、日本のみならず北半球のあちこちで猛威を奮っているそうで。サンルームに鉢を並べた、自慢の椿がきれいに咲きそろってくれないのが気掛かりだわと、勘気の強そうな目許をきゅうと寄せるご婦人がいる。朝の化粧こそ済ませたものの、本日の外出予定は陽が落ちてからの晩餐会のみなため、特に気負った装いもせぬまま、それでも高価そうな厚絹のガウンを羽織っての水やりを続けておいで。神経質な性分なのか、時折、根元や葉の裏なぞを見回していたけれど。どこまで判ってやっているものやら、途中からはいかにもおざなりなジョウロの振り方で終わらせて、傍らについていたメイドへと後を任せてリビングへ。サイドボードの上、何通かの封書が届いていたのを手に取ると、

 「…と、これとこれはお返事が要るわね。
  こちらは△川に言って、代筆させてちょうだい。」

 こちらの部屋に控えていた、スーツ姿の秘書だろう女性へそれなりの指示を出し、海外仕様か寸法が大きめのソファーへと、自堕落にも横座り。どうやら機嫌が悪い夫人であるらしく、これは聞き返さぬ方がよかろうと、秘書嬢もそそくさとその場から立ち去り、広々としたリビングは、かすかな空調の音の身という静けさに包まれて。

 「……。」

 夫人の機嫌があんまり良ろしくないのは、実をいや、椿のせいでも寒気のせいでもなく。とある人物への妄執とも言えよう執着が、思うように果たされず、ままならぬことへの苛立ちのせい。これまで、思い通りにならなかったことは一つとしてなかったその反動、権高いばかりの棘棘としたお顔を引きつらせると、それでも悲劇のヒロインよろしく、重々しい溜息を零して見せて。

 “一体、何ヶ月掛かっていることなやら。”

 気まぐれから立ち寄った、下々が集う繁華街の只中。セレブリティの間でも評判になっていた話題のスィーツを買い求めにと足を運んだその街で、偶然目に留まった青年がおり。周囲の人々もまた、さりげなくもその彼へと、注意を寄せている気配がありありとしたほどに。誰もがその存在感を認めてしまうほどの際立った人物であり。誰もがハッとするような、所謂“燦然とした華美さ”をまとっているのじゃあないが、それでも視線が外せぬ魅惑、透徹玲瓏な麗しい風貌に、奥深い人性思わす嫋やかさをまとった、正に佳人。そんな存在との出会いを齎したお出掛けを、これはきっとこの青年に逢うための巡り合わせというものだ…と思うのならともかくも。自分はなんて勘のいい人間かと、彼という存在を見出すために、下々の犇く街へ降り立ったワタクシなのだと思うようなお人だったものだから…彼女の思惑は、自分勝手な方向へと発展してゆき。何としてでもその人物を間近へ置きたいという欲求が日に日に高まったのも、実を言えば今に始まった身勝手ではなかったようで。

 “大体、写真が1枚だって撮れないっていうのはどういうことなのかしら。”

 どこの誰なのかを調べ出すのに、とんでもないほどの日数がかかった。あれほどの目立つ存在が、だのに、どこの誰かをなかなか特定できなかったから。監視カメラの映像をハッキングとかして解析すりゃあいいのに。それはあくまでもスパイ映画の架空の技術だというのなら、その街の所轄署には夫か実家の父の息の掛かった警官がいようから、そやつを買収して片っ端からという職務質問でもさせて釣り上げればいい。それもダメならと手の者らが構えたのは、芸能関係者を装って美形を総てスカウトして回れという手だったらしいが、それでも何故だか姿を捕まえられない。何とかそれらしい人物を見かけ、間違いなくカメラを向けたのに、どんな光の干渉があったか、彼の姿だけは撮れてはないままであり。これではその彼が夫人の求める人物かの刷り合わせが出来ませぬという、間の抜けた報告しか上がっては来なくって。そんなこんなで待たされ続けて、どれほどの月日が流れたことか。年が明けてのやっとのとうとう、地道に尾行をした配下の者が、問題の人物を捕らえたその上、自宅も突き止めたということだったので。ここまで待たされたのだから、もはや手段は選ぶなと、強攻策をと言い置いたのが今朝のこと。いよいよのとうとう、念願叶ってあの見目麗しい美丈夫をはべらすことが出来るのかと思うと。そう、新しい小鳥を籠へと増やす時のよな、嬉しい興奮が総身を満たす。

 「…っ。」

 そうこうするうちにも、リビングへと続く通廊の遠く。人の気配が沸き立っての、こちらへ近づきつつある足音や声が聞こえて来。小娘のように落ち着かないのはみっともないが、威容がないのも何ともしがたい。寝そべっていたのよりは身を起こし、美しい贄が運ばれてくるのを、ほくそえみながら待ち受けたれば……





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